国民は、自ら憲法を犯す司法を裁け

  法務省訟務局が、
     なぜ 憲法に反する答弁書を、裁判所に向けて書くのか

   
三権の分立が成り立っていない。

法務省のホームページに、訟務制度の創設が書かれています。

訟務制度の創設
a 戦後,日本国憲法の施行に伴い,国家賠償法(昭和22年法律第125号)が制定され,従来,国の権力行為については,国の公務員が職務上違法に損害を与えた場合でも国は責任を負わない (いわゆる国家無答責)とされていましたが,このような行為についても,損害賠償の請求が可能となりました。また,同時に行政裁判所が廃止され,行政訴訟は,司法裁判所の審査に服することとなりました。
b このような事情を背景として,国に対する民事訴訟及び行政訴訟が大幅に増加し,その内容も複雑化することが予想されたことから,国と国民との間の法律上の紛争を適正に解決することによって, 個々の国民の利益と国民全体の利益との正しい調和を図り,法律による行政の原理を確保するため,国の利害に関係のある争訟は,すべて法務庁(現法務省)が統一的・一元的に行う 訟務制度が創設されました。

c 訟務制度は,「国の利害に関係のある訴訟についての法務総裁の権限等に関する法律」(昭和22年法律第194号)により創設され,同法は,その後,昭和27年に法務総裁が法務大臣に改められるなどの組織改正が行われたことに伴い, 「国の利害に関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律」(昭和27年法律268号。)に改められました。これにより,国を当事者とする訴訟については,法務大臣が国を代表することになりました

a において、国家無答責を排除し、憲法17条と国家賠償法を踏まえている。
では、国に対する民事訴訟及び行政訴訟において、国の利害に関係する争訟は,すべて法務省が統一的・一元的に行う のが訟務制度としている。
c 国を当事者とする訴訟については、法務大臣が国を代表する。

 確かに国に対する訴訟で、原告の請求が憲法に反している場合もあるだろう。被告国を弁護する部所はあってもいい。それが法務大臣のもとにある訟務局ということらしい。


次に、法務省のホームページから「訟務制度とその役割」を掲げる。

訟務制度とその役割

国の訴訟の統一的・一元的処理

訟務(しょうむ)とは,国の利害に関係のある争訟について,国の立場から裁判所に対して申立てや主張・立証などの活動を行うことをいいます。 また,このような活動を法務省が国の立場から統一的・一元的に行う制度を訟務制度といいます。

国の利害に関係のある争訟には,「民事に関する争訟」と「行政に関する争訟」があります。 これらの争訟に関する具体的事件を訟務事件といい,その処理に関する事務を訟務事務といいます。

これらの事務を行う訟務の組織として法務本省に訟務局が置かれているほか,地方実施機関として全国の法務局(訟務部)・地方法務局(訟務部門)があります。

法律による行政の原理の確保

国の利害に関係のある訴訟を統一的・一元的に行うことによって,国民全体の利益と個人の権利・利益との間に正しい調和を図るとともに,法律による行政の原理を行政の内部において確保し実現することに寄与しています。

紛争の予防(予防司法支援制度)

将来,争訟に発展するおそれのある行政機関が抱える法律問題について,行政機関からの照会に対し,法律的見解を述べたり,又は助言若しくは協力をすることによって,法律問題の適切な解決に資するとともに, 紛争を未然に防止する予防司法的役割を果たしています。




 上記の訟務制度の実務役割として、職員の行動が、日本国憲法と法律の基に実行されている限りは結構であろう。
 しかし、東京大空襲訴訟の「訴状」に対する訟務局の「答弁書」は、ここで検討して見た限り、憲法とはかけ離れていることは明白である。 
 この「訟務制度とその役割」について検討してみると、以下のようになる。

国の訴訟の統一的・一元的処理について
 政・官(裁判所も含む)の意思を統一とすることを目的としているというが、これまで東京大空襲訴訟に対する「答弁書」にみてきたように訟務局の裁判所に対してする申立てや主張・立証は合理性がなく稚拙で、憲法第十章 最高法規に違反しており、効力を有しないはずである。国家の主権は国民にあるということが、未だに理解していないようである
(訟務局:戦後の1952年、法務府の法務省への改称に伴い、民事法務長官、民事訟務局及び行政訟務局を廃し訟務局が設置された)。近隣諸外国からの戦争責任の追究を避けるという、国益を守る役割を担っていると思っているかも知れない。そして、戦後処理に関する訴訟に対する統一的・一元的処理の業務は、裁判所ばかりでなく、他の省庁へも申立てや主張をする訟務官僚の、戦前に続く、英国流コモン・ロー的慣習法になっているのかも知れない。

▸法律による行政の原理の確保 「国民全体の利益と個人の権利・利益との間に正しい調和を図る」
 とは、ご立派にみえるが、個人の権利・利益を犠牲にしても、国民全体の名の下に為政者の国の利益を守るという隠れた業務が潜んでいる。
 行政の原理は、憲法
第五章 内 閣 に決められている。法律は憲法に整合していなければならない。

▸紛争の予防(予防司法支援制度)について
 戦後補償訴訟を予想して、それを防止あるいは棄却するための手法を各機関に指示するための制度であろう。

 以上3つの箇条が、憲法に照らして理があるならば、あるいは戦後補償訴訟を起こす原告側に理がないならば、この制度もよい。

 しかし、戦後補償関係の実際をみると、憲法との整合性はない。訟務局の目的は見えみえであって、すべて憲法に違反し、民間戦争被害者に対する援護を放置するために利用されている。憲法に違反してまでも被告国の立場を弁護するのが訟務局の立場か。また、国の立場とは、近隣諸国に対する戦後補償訴訟の回避を視野に入れているのではないか。それは国際関係において不名誉であっても、決して日本国の利益になっていない。戦後のアジア歴史がそれを証明している。日本の外交は、あるいは戦争被害問題は、やはり日本国憲法を基準にして処理すべきではないだろうか。
 
訟務制度は、弁護士団体、できれば国民が監視していないために、訟務局は、制度の運用を間違えているか、あるいは故意に役割の範囲を逸脱している。むしろ裁判所に対して、戦争被害補償訴訟に対する棄却判決を下すよう指導あるいは命令するための制度といってもよさそうである。
 前大戦で甚大な人的・財的被害を受けた国民に対して、真面に説明できない制度で、とても「三権の分立」という関係にはないようである。


 次に、東京大空襲訴訟における、被告国の代理人・訟務局と東京地裁の審議状況を思い出すてみたい。


さて、東京大空襲訴訟において、「陳情書」と「答弁書」を観て東京地方裁判所はどう判断したであろうか。 
おって、検討する。







追 記
 前記のような時代錯誤の「答弁書」をつくる法務省訟務局(官僚)が現に存在しているとはちょっと信じ難いことである。半世紀も前に購入して読んだ、『
新版日本官僚制の研究』辻清明著(東京大学出版会1969年初版)を、読み返してみた。まさに今も旧時代の役割を担う訟務局の存在がありえることに納得。
 著者は、序のⅳ頁に、
 「官僚制の民主化という課題は、新憲法の原理を実現して行くために、我々日本国民が避けることのできない至上命令であり、原罪の新しい制度の設定のみでこの課題が果たされるといえる安易な態度は、絶対に許されるべきものではない。とくに本書で指摘しているような日本官僚制の特殊な性格は、ひとり統治構造の分野にのみ限られず、政党や大企業、さらには進歩的と称される組合等に至るまで、およそわが国におけるすべての社会集団のなかに、程度の差こそあれ常に存在している現象である。いわば、それは日本の社会全体を蔽うている暗雲のごときものであり、国民のすべてが、自己の属する集団で克服に努めなければならない問題である。」
 と書いている。今もそのまま活きる名著である。
 
 因みに、数年前まで、わが国の内閣は、官僚が指導する「官僚内閣」であると揶揄されてきた。
 「
2014(平成26)年5月30日、稲田国家公務員制度担当大臣は、内閣人事局の看板掛けを行いました。今後、内閣人事局は、国家公務員の人事管理に関する戦略的中枢機能を担う組織として、幹部職員人事の一元管理に関する事務に加え、人事管理に関する制度についての企画立案、方針決定、運用を一体的に担うことになります。

 これ以降、官僚は内閣を都合よく忖度する下僕になった。
 これも、マスコミをはじめとする日本の社会全体を蔽う暗雲である。


[敗戦直後状況]  一般の国民は狂気の戦争状態から解放されたが、空襲被害都市は焦土と瓦礫に化し、食糧難、物資不足、インフレに見舞われ、帰還者、傷痍軍人、一般戦争被害者、浮浪児(孤児)、無職者があふれ、闇市が並ぶ。
 
 明治以来、大日本帝国の天皇制を担ってきたのは軍人と官僚制度で、「官尊民卑」の「権威主義」社会であった。敗戦するやGHQに、日本軍隊は解散させられた。明治憲法は大幅に改定させられ、昭和天皇は国民の象徴として、憲法第一章に残す。米ソ対立が始っており、東京裁判が急がれた。軍人を除く他の官僚は、恩給と地位はそのまま残す(間接統治)。
 GHQの指令で、恩給も、地位も奪われた軍人軍属の屈辱感、それに傷痍軍人とその遺族の地位と収入は以前との格差は大きかったであろう。彼等の強い運動は、1951年サンフランシスコ平和条約の翌年に、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」、そのまた翌年には「軍人恩給法」の復活となって叶えられていく。
 一方、空襲等民間被害者は、戦前同様に、戦後被占領下、改定憲法がありながらGHQの厳しいプレスコードにより被害補償を要求できる状況になかった。現在でも、改正憲法第一章の存在は、国民が前戦争の反省や責任の所在を追及することは難しい。
 辻清明氏は、「国民のすべてが、自己の属する集団で克服に努めなければならない問題である。」と書いている。

 1951年9月以降も、日米安保条約、行政協定、密約、日米合同会議など今に続く条約は、日本の独立を曖昧にしている。




さて、「陳情書」と「答弁書」を観て東京地方裁判所はどう判断したであろうか。 
おって、検討します。